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紹介
 紹介

 第一次大戦以降、文豪トーマス・マンは「政治と文学という問い」に果敢に挑んでいく。二度の世界大戦、ロシア革命、ドイツ革命、ファシズム、冷戦を経た彼の足跡は「20世紀ドイツ精神の自叙伝」として多くの示唆を与える。「非政治的作家」トーマス・マンの政治との知らざれる関係、政治思想の体系的研究。 (2010.7.24)

定価 (本体5,400円 + 税)

ISBN978-4-87791-209-3 C3031 343頁

国際書院

http://www.kokusai-shoin.co.jp/209.html


      

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岩崎弥太郎生家

  • 桜岩崎家家紋の三菱岩崎弥太郎生家 
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冬と夏のあいだに
雪1

東京、2年ぶりの雪。

みぞれ雪で、シャーベット状態。
夜中に雪の降る街を歩く。
車輪の通った跡を歩くと歩きやすい。
靴下の中まで濡れてしまった。
それでも季節を感じられる雪は好きだ。
朝から昼は屋根の雪が大きな音を立てて落ち続けた。
雪は昼過ぎには多くが溶けた。

去年の卒業生と会って1年、今年は次年度の卒業生と会った。
目映いばかりに成長し頼もしい立派な成人になっていた。
自分の進歩のなさが虚しく感じられる。若いってことは素晴らしいことだ。
エネルギーと勇気を分けてもらい、こちらも少しは若くありたい。

 下は2006年夏のベネチア。冬と夏、雪の夜と夏の空。
冬と夏の間に・・・日記を差し挟む。
今年度もほぼ終わりに近づいた。
来年はどうなることやら・・・・


ベニス 青い空

 
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銀杏並木、秋
 日曜日は素晴らしい晴天、雲ひとつない眩しい秋の一日

こんなときは乗るしかない。

これは神のお告げだ

久しぶりにシルク号で出動。

いつものトレーニングコース(坂も少ないのであんまり訓練にはならないが)

光が丘公園で森林浴に

息は上がったが脚は結構ついてきた。
思ったより速度が出て安心。

光が丘公園は銀杏並木満開で黄金色
路面は滑るほどの落葉





秋の一日を堪能してきますた


 
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巨人優勝
 

  うううう、最終戦は不覚にも某教授還暦祝いパーティーに参加して見れなかった・・

原辰徳監督、貴方は国民栄誉賞物です。

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渋谷で『意志の勝利』を見る
                    意志の勝利
 
 雨の水曜日、9月の終わりにシアターN渋谷で上映中の「意志の勝利(Triumph des Willens)」を見に行った。水曜日は1000円だった。

 レニ・リーフェンシュタール1935年作品、国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)全国党大会映画担当局製作。
当作品はあまりに有名なナチス宣伝用映画であり、戦前プロパガンダ映画の傑作。客入りはかなりの盛況、延長して上映されている。「頭脳警察」の記録映画が予告編であった。パティ・スミスの映画が上映後にあった。
 


 全編モノクロームだが、光と影を効果的に使っている。特に夜間の松明行列や党大会映像は夜と炎のコントラストが見事に映し出されている。エイゼンシュタイン「戦艦ポチョムキン」の影響を随所に感じる。プロパガンダ映画はボルシェヴィズムからの輸入品でありそれを完成させたのがナチズムだったのだろうか、モンタージュ技法が相当に取り入れられている。空からの雲の切れ間の光景。ニュールンベルクの街並み。実にゆったりとした映像から映画は始まる。ヒトラーユーゲントの健康的肉体美。ヒトラーを見つめる女性の恍惚とした羨望の眼差しが印象に残る。この眼差しは監督であるレニ女史本人の視線に重なるものではなかったか。余談だがパンフレットで見たレニ・リーフェンシュタールのフォト、元女優の彼女は相当な美貌。総統に対する女性の眼差しや嬌声が印象に残るがそれは女性監督による映画からなのかもしれない。
パレード行進するヒトラーへのジーク・ハイル!、ジーク・ハイル!の歓声は現代のいかなる祭典、いかなる政治ムーブメントによっても実現不可能なほどの圧倒的エネルギーがある。まさしくヒトラーは国民が合法的な手続きを通して選んだ英雄であったのだ。
 
 圧巻はラストシーンの党大会のヒトラーの演説である。観衆の歓声を一度鎮めて一呼吸置いてから演説を始める。アクセルの強弱がうまく彼の弁論術は天才的である。ヒトラーのドイツ語は音声の良い映画館で改めて聴くとかなり聴き取りやすいことがわかった。それが今日の収穫か。その他、ゲッベルスやヘスなど党首脳の演説も巧みでかなり聴き取りやすかった。
 
 しかし残念ながら彼らの演説にはほとんど内容がなかった。演説が山場であり雄弁ではあるが演説の内容、つまり思想的内容が空疎過ぎる。映像は素晴らしいが肝心の政治観の中身がない。率直な感想は、残念ながら糞つまらない映画であった。寝不足のせいか数分寝てしまった。後方でしばしば舌打ちが聞こえた。映画というよりも映像&演説という作品と見るべきかもしれない。言葉の重さと深さが映画でいかに大事な要素であるかも逆に感じた。しかし反面教師としてみておくべき作品かと思う。
 
 1934年撮影だがこの時期はやがて粛清される突撃隊もこの時期はまだ堂々とのさばっている。後に抹殺的反ユダヤ主義がナチズムの中核思想に加わるが、この時期はそのような毒素がまだ計画化されず、映画では非合理主義や暴力が当然ながら隠蔽されている。やそれらはナチスの本質でもあった。非合理主義のないナチスは本当に空疎な政治観しか持ち合わせていない。あまりに多元的で多層的なドイツという世界を一つにまとめるためにはこのような極めてナイーブで粗野な原理が有効だったのではないだろうか。啓蒙主義やロマン主義、歴史主義、保守革命等のドイツの豊穣なる、そしてあまりに複雑で抽象的な思想的遺産があったにも関わらず、結果的にこのようなアホな政党が勝利するとは何たる喜劇、そして何という悲劇!
 
 プロパガンダ映画ではあるが、大衆の圧倒的な歓声と恍惚とした眼差し、これらの「現実」を単純に悲劇と片付けてはいけないことを痛感させられる。やはりドイツ国民は少なくとも一時的には、「確信犯的に」ナチスを支持していた。この映画はドイツ国民が共犯であったことを映し出している。ドイツ国民の罪の重さを描写していることが最大の功績であるかもしれない。
 ナチスは歴史家マイネッケが述べるような不幸なドイツ史の悲劇ではなく、民主主義の後にドイツ人が主体的に選んだ道であった。選択を誤ればこうなる。総統の英雄像を描いた映画ではなく、支持する側の多数者の専制のエネルギーと怖さ、その両義性を正直に描写した映画とも言えよう。
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Baader meinhof   ―理想の果てに
 


 夏の終わりに・・というわけではないが秋の夜長に渋谷のシネマライズで
上映中の『バーダーマインホフ―理想の果てに』を観にいった。
 火曜日は1000円、最終上映のナイトショー、得した気分。

 少し意表を突かれた感のある冒頭のヌーディスト・ビーチの光景から映画は始まる。ジャニス・ジョップリンの”Mercedes Benz”がかかった。最後の曲がボブ・ディラン”風に吹かれて”だった。この2曲はこの映画の多くを語っているように後で思った。
 
 映画の概要について。1968年反帝国主義、反資本主義、反米をスローガンに掲げた極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」が形成された。グループ名は当初アンドレアス・バーダーが中心で左翼系雑誌ジャーナリストであったウルリケ・マインホフが活動に賛同し両者が中心のグループ名として呼ばれるようになった。
 
女性ジャーナリスト・ウルリッケ・マインホッフは唯一知的で理性的な活動家として、 反政府的執筆活動を行っていたがバーダーの活動やアジ演説に引かれ、シンパとなりやがて中心メンバーとなり、銀行強盗、大企業拠点や政府施設の爆破、裁判官や財界要人の誘拐、暗殺などあらゆる犯罪に手を染めていく。バーダー・マインホフはやがて70年代活躍した日本赤軍に共鳴し、ドイツ赤軍と改称し、多くの爆破事件を起こし、72年にバーダーとマインホフ等首謀者が逮捕される。包囲された小屋の銃撃戦の中のシーンは“Butch Cassidy and the Sundance Kid”さながらである。マインホフはジャーナリストを辞してテロに身を染めた葛藤と殺人の罪の深さと刑務所生活に絶望し留置所で自殺を遂げる(76年)。裁判をめぐるリーダー達の内紛や葛藤などの密室内の人間模様が描写されている。「自分たちの運命は自分で決めねばならない」これはリーダー達の最後の決意であり暗黙のルールであった。結局勾留中のリーダーはハイジャック失敗を確認後3人が独房で自殺を遂げる。しかしそれでも次から次に現れていく次世代の後継者によりテロ活動は果てしなくエスカレートし、継続されていく・・・
 
 主要なストーリーは以上の通りである。
この映画はまずキャスティングにおいて優れている。特に女性のテロリストと行動がかなりの比重を占めている。女性スタッフが目立ち位置にあり、注目度合いも高い。この映画はまずキャスティングにおいて優れている。男女ともにすばらしい配役である。警察庁責任者にブルーノ・ガンツ。若きテロリストには注目女優のアレクサンドラ・マリア・ララ。唯一知性的なウルリッケ・マインホフ(名女優マルティナ=ゲデック)の演技は秀逸していた。ベルリンでヒトラーと天使を演じた名優ブルーノ・ガンツ、鷹揚ながら着々とテロ組織を追い詰めていく優れた警察官僚を演じきった。地味ながらすばらしい味を出している。主人公の一人、ヨハンナ・ヴォカレック。活動的でクールな女性テロリスト・リーダーを演じきった。そしてバーダーのカリスマ的魅力。特に彼ら被告が裁判官と応酬しあう裁判所のシーンなどは秀逸しているのではないだろうか。
 
 この映画には一方で大きな難題もある。赤軍メンバーの多さの活動規模の大きさからやむをえないが人物を数世代に入れ替えて構成したため、感情移入すべき人物がストーリーを通して見出しぬくい点である。監督の意図であるがこれだけの多彩で有能なキャストをもちながら、感情移入できる人物がなかったというもどかしさも観覧者には残るはずだ。この点は映画の評価の大きな分かれ目ともなろう。
 
 この映画からイメージに残った言葉。文明と暴力、野蛮。そして破壊とエロチシズム。目映いほどのヌードビーチの若く健康な肉体のエロチシズムとその対極にある暴力的衝動と破壊性。理性と野蛮。非合法活動を行うことを自覚した人間の最後はやはりまっとうに生きながらえることはできない。革命か死か。自ら命を絶つしかないのだ。『灰とダイヤモンド』の如く、テロリストにはやるせない青春と終わりなき闘争と死しか残されていない。自決した彼らはテロリストとは何かをわきまえていた。
 人質釈放作戦の失敗した後、ラストシーンでパリ郊外の森でRAF残党は人質として捕らえた実業家シュライヤーを射殺するシーンで終わる。

 唐突に終わるラストシーンは、その後の赤軍の96年までの継続的活動を暗示しているのではないか。また誘拐失敗後のテロリストの無慈悲な殺人と、容赦なき決意を。そして暴力の連鎖はさらに時代を超えて9.11以降も続いている。この映画ではテロに対して何の結論も下していない。テロは解決されていない。暴力の連鎖は続いている。つまり、解決されていないテロの問題を、(解決させずに)閉じずに結ぼうとしたのが監督の意図ではないだろうか。結ばれることなき永遠の問題、Endingで流れるZimmermanの歌詞の中にその答えが織り込まれているように思った。


「どれだけ砲弾が炸裂したら闘いは終わるの ?友よ、そのこたえは風に吹かれている。答えは風に吹かれている」 


 帰り渋谷駅で乗ったのはチョコレート電車だった。本当に明治のチョコだった。
釈然としない映画の終わりに考えつつも少しだけ得した気分の秋の夜。

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市民革命かそれとも衆愚政治か?
 8.30総選挙の結末、「恐るべき結果、怖ささえ感じる民主の圧勝」

という感想は同日深夜に田原総一郎氏が語っていた感想と内容がほとんど同じであった。

深夜未明に及ぶ鳩山代表の記者会見にも悦々とした様子は全く感じなかった。小沢氏の表情からも終始緩みは見られなかった。


反自民政権は長年の私の悲願でもあったのだが
なんというか寒々しさと怖さを感じた。
そんな自分は完全に55年体制の人間であることに気づいた。

しかしこの恐るべき結末を冷静に考えねばならない。

この選挙は現代日本のあらゆる政治学の教科書の数十頁を書き直せる一大事でもあるからだ。多くは安倍内閣あたりで書き終わっている政治学の教科書、後期の授業の指定テキストの多くは加筆せざるを得なくなるだろう。

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 自民党の崩壊は実質的には森政権以降水面下で確実に進行していたと思われる。あるいは経世会が失墜したあたりから内部的には分裂が始まっていた。派閥政治の終焉と地方選での敗退は自民崩壊の序曲であった。
 自分が関心を持つのは小渕政権時代である。この時期外交面ではガイドライン法案やら周辺事態法、国内では反動的な国旗国家掲揚法案が法制化され、経団連の圧力から雇用の規制緩和が促進された時期でもある。もっとも深刻な問題が格差社会であるとすればやはり雇用面の規制緩和は格差社会実現のスタートラインに立つとも言える。その意味でも小渕政権は地味だが強力な政権で自民主導の反動的な法案を多く通過させている。軽視できない時代である。

 そのような規制緩和路線をより徹底化させたのが小泉竹中路線であった。ちょうど今回選挙のほぼ逆の議席数となった4年前の選挙は国民が
さほど重要でもないアジェンダにまんまと乗せられて郵政民営化賛成か反対かという意味不明の選択を強いられた。結果賛成票も反対票自民が票を吸収して大勝利を収めた。小泉は天才的な詐欺師であり天才的な歌舞伎役者であると思う。中身はないがやはり勝負師としては天才的であった。勝負に強いということ、強いというイメージ、その資質は奇しくも政治的リーダーシップの中の重要な要素である。

 小泉政権時代はポピュリズム化とデマゴギーが完成した時期でもあろう。しかし国民はそれに飽きてしまった。デマゴーグには有権者責任もなく権利と責任の双務関係への知識もない。そもそも日本の社会にはそのような厳格な権利概念が馴染んでいない。デマゴーグは愚痴と文句させ言えば良かった。
 しかし国民は潤いをもたらさない社会に憤りを感じはじめた。そもそも郵政民営化は成功例がほとんどない。(一時ドイツの国際郵便が成功した程度)ユニバーサルサービスの民営化は長期的には限界が生じる。
政府はナショナルミニマムは保障せねばならない。医療崩壊や教育の軽視、耐震偽装疑惑は小さな政治路線、民営化の限界を早くも露呈させた。格差社会や学力低下は確信犯的な結果である。

 そんなこんなで失政に気づいた国民は自民から完全に心が離れ始めた。その時期に小泉政権が終焉し安倍、福田と続く。
 構造改革は日本型社会主義システムを崩壊させるものであった。

そして麻生政権、オールスター級の無能閣僚を集めて、自民は完全に機能停止を起こした。機能停止どころか、これ以上、失政を繰り返すと逆に不利益が生じる。


 しかし自民党政権を選んだ有権者には有権者として政治を見定める能力がなかったことを自認せねばならないのではないだろうか。

 有権者は冷静に自己の投票行動を分析することなく情報操作に一気に流される。その「振り幅」はあまりに大きくなっている。振り子にエネルギーがとんでもない力になってきている。

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 それが選挙結果に私が感じた「怖い」という感覚である。

 だが、考えると、有権者は自民の郵政民営化選挙に踊らされた自身を一律に反省したとも考えられる。その後の失政への反論が選挙結果に出た。これも正しい分析だろう。そう考えれば国民の静かな批判が大きな力となって波を捉えたとも言える。国民の政権批判が世論となって合法的な選挙を通じて政権転覆が実現されたとすれば、これは戦後初の実質的な市民革命と見えなくもないだろう。

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 さてネットを見ていると去年の竹中平蔵と山口二郎の対論に関するブログがあった。

この対論は昨年11月号の『中央公論』に掲載されたものであり当然この対論は自民vs民主の代理戦争でもある。今考えるとなかなか面白い内容だ。

 構造改革と格差社会の元凶、竹中路線は完全に綻びを見せた。
アメリカ型自由主義が無責任の体系と化し、金融工学という
詐欺、インチキに席巻されて崩壊した金融危機によって誰の目からしても明らかとなった。自由主義と規制緩和は厳密に言えば違うものであるが自由主義者が政治の舞台で活躍できるのは規制緩和策でもあった。竹中の政局進出によって経済学と政治学のミスマッチがつながってしまった。

 タイトルが「政治崩壊」wでもあったので、竹中氏の論調に説得力がなく山口氏の妥当性が明らかに優位にあることは疑い得ない。

 右翼と左翼という旧来の座標軸が消失され、単純な色分けができなくなってきている。

対立軸が不明瞭で政策やアジェンダによって判断せねばならなくなっている。その分有権者の政治分析能力が問われるようになった。今政治を色分けするのがとても難しい時代になっている。しかし新しい対立軸を作り直していかねばらない。
イタリアの政治学者、ノルベルト・ボッビオの左右の対立軸なんかはかなり妥当性があろう。いずれにせよ赤と青の色分けも中身を判断していかねばならなくなる。

 長期的に考えれば今回の選挙結果の一番の立役者は山口二郎北大教授ではないだろうか。イギリス政党政治の専門家であり、民主のブレインであり、NEXTキャビネット、マニフェスト選挙、党首討論の提案者でもある。イギリス型二大政党制導入を長年の目標としてきた。

 彼や民主党が冷静なら、次の選挙がもっとも重要な政権選択選挙となるであろう。それは二大政党制の可能性を問うものともなる。
 しかし英国労働党は18年の下野の間も腐らずにNext Cabinetを準備しており然るべきブレインにも恵まれて、ブレアで政権を奪取した。
 自民にもまだチャンスはある。ここで腐るか腐らず次代に備えるか、真価が問われる。

 民主の圧勝ではあるが、別の見方をすればこの選挙は二大政党制の幕開けを意味するものとも言えよう。
 
 あるいは1+1/2党制の走りとなるのか?

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そんな難しい時代だが、有権者はこのような判断を示した。有権者には連帯責任がある。民主主義を否定するなら投票せねばよい。



 しかし民主主義社会の恩恵を少しでも受けている以上、それに支えられている以上は有権者としての責任を果たさねばならない。この船が沈むか、浮上するか、その選択をわれわれは新しい船頭に任せた。任せた以上は文句を言ってもしょうがない。不満ならまた選挙で変えれば良い。

 単純な話だがそれが民主主義だ。赤と青、どっちがきれいか?50点か51点かどっちがマシかという話にもなり得るが実際の選挙はそのようなものだ。100点の政治などユートピアに過ぎない。チャーチルも言っているように民主主義よりもちょっとでもマシなシステムが見つかってないからこのような選択でしょうがない。


 このように考えると新しい指導者を選べる権利、政治の自浄作用がはじめて機能したのが今回の選挙かもしれない。デマゴーグの暴走ではなく、市民革命であることを祈りたい。行く末はまだ誰にもわからない。われわれにとって未来は厳しい。これが箱舟か泥船かどちらかは誰にもわからない。しかしこの船に乗っていけるところまで乗っていこう。
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夕暮れの虹
 

 お前らお元気ですか?
仕事がんばってますか?
今年は豚インフルエンザで休校になったり色々ありますたが
おかげさまでなんとか順調に来てます。
 授業日程が最近は厳しくなっており7月20日まで授業です。(他大学は24日まで)
暑いとお互い大変ですよね。
社会人生活、それぞれ大変でしょうががんばって下さい!!

MIXIは更新してますがこっちはたまにしか更新してません。
久しぶりにいい絵が取れましたので更新しました。
夕暮れ時にふと窓を開けたら虹がっ!!
千載一遇のシャッターチャンスと思い
撮影。
 虹なんか滅多に取れませんし部屋から撮れるのはラッキーです。
暑い日が続きますがお大事に。
皆さんに幸あれ。


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光が丘公園の桜咲く

 春休み最期にまだ結構満開に近い状態で残っている桜を惜しんで
早朝サイクリングに出掛けて来た。寒からず、暑すぎず、天気も良好で
なかなかいい条件でのポタリング。

 1月ぶりにロードに乗るが、体は相当なまっているはず。
しかし追い風のせいか、速度はいつも異常に出ていた。ベストに近い走りが出来て驚き。夏場から秋は体重増でそれから急激に減量しているのでその分脚が動いたのかもしれない。サドルも高目に設定しているので
激坂も余裕で登れるようになった。(クライマー復活?)

 サドルの位置ってどれだけ大事かが良くわかった。下げすぎて膝を痛めたからだ。しかしやや高すぎるかもしれない。高いと速度は高めで安定するがMAXが出にくい。回転が遅くなるようだ。今日も40km少々しか出なかった。

 そんなこんなで引越ししてから初めてのいつものポタリングコース。
今日は環状7号線沿いに走って目白通りを左折して練馬駅近くで北上、
豊島園を超えて坂を上り春日町駅を通ってそこから光が丘公園に。

 

そこで見た光景は ・・・・



息を呑むような一面の桜のトンネルであった。




久しぶりなので既に10km前で息が上がっていた。その状態で桜のトンネル。この並木が桜とは予想外だった。 しかも大通りに桜の見事なアーチが架かっている。これは感動した。

光が丘公園を外周し、桜並木を横目で眺めながら
公園内へ。ここも一面の桜、桜。
 平和な光景、静かで空気がおいしい。23区内にあるとは思えない緑の空間。大袈裟だが、ここに早朝に来ると本当に生きてて良かった気分になれる。ああ、このひとときを感じられるためだけでも生きてきた甲斐があるような気がする。この公園に早朝来ると癒されるし魂が救われる気がする。決して大袈裟ではなく。正直な感想だ。

 朝の広大な公園の光景はすばらしく心地よい。
アミノサプリで燃料補給。のんびり公園内を数週しているあいだに
日が上がってきて、今日は素晴らしい陽気のようだ。花見はもう2,3日大丈夫だろう。桜を近くから撮ったり遠くから撮ったり。

花冷えの夜に新青梅街道の夜桜がパーッと散り乱れる光景も素晴らしいが広大な光が丘公園とその並木道の桜のトンネルは並ぶとも劣らずすばらしく思える。
 
 平凡ではあるが桜が咲くだけで四季を感じられる、そんな平凡な春を
惜しみつつ、また今年の春が往く。



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