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キャス・サンスティーン著『インターネットは民主主義の敵か』
周知のようにIT革命は市場経済に大きな影響を与えてきた。経済面から見れば、それは新たな業種であるIT産業を創出し、E-コマースやオンライン・ビジネス、金融取引に影響を及ぼし、日常生活にまで今日浸透している。
 しかしながらインターネットは政治的にはどのような影響力をもたらすか?さらに、それは民主主義にどのような有益な作用をもたらすものか?あるいはいかなるデメリットをもたらすのか?われわれは、この問題に対し、依然、明確な回答を備えていないように思われる。そしてこの課題こそが本著の主要な疑問点である。
 eコマースは日常生活レベルにまで影響を及ぼしているが、政治参加に際してインターネットは必ずしも積極的なメリットのみをもたらすとは言いがたい。マスメデイアとネットとの違いは、情報の双方向性にある。この場合、影響の受け手側の変化にサンスティーンは注目する。すなわちネットの普及によって、サイバースペース上にアクセス制限のない無数のネットニュースや多様なウエブやブログ、掲示板が登場し、個人はそれを自由に利用できるようになった。そして受け手側は特に情報のフィルタリング(取捨選択)を行うようになる。しかしながら、情報チャネルの多様化は、結果的には、受け手側(消費者・一般市民)がチャネルの取捨選択をせまるものとなる。

 これによって、個人は(政治的にも)自身が嗜好する情報源やメデイア発のニュースを選ぶことになり、異なる政治的価値観の情報や、政治的に対立的な立場のウエブや掲示板への書き込みを避けることは容易に想像される。

 これが恒常化すると、個人の政治的意見は固定化され、個々人はそれぞれの持ち場を選び、個々人の政治的な価値観に関するウエブに影響され、他の価値観と接触することなく、議論することなく、自身の意見自体も硬直的になり、それが極右や極左集団、テロリスト集団のウエブの積極的な閲覧者は、政治観をさらに過激化させ、閉鎖的な政治集団に分極化される可能性がある(=社会的分裂化、サイバーカスケード)。

 こうなると、社会構成員を接着する公共財や共有すべき規範、価値観、議論や意見交換の場が必要とされるが、価値観自体が硬直化されると交流さえもなくなってしまう。情報の受け手の「エンパワーメント」が進むと分極化した個々人は、分裂した政治社会をそのまま構成するものとなり、民主主義はワイマールと同様に深刻な危機を迎えることになろう。
 著者はインターネットによってもたらされるサイバーカスケード、社会的分極化の危険性を警告しつつも、むしろこれを討論の場として有効活用する可能性を見ようとしている。
 
 上述の点を踏まえながら、本著は以下の3点に論点を要約できるであろう。

まず第一にサンスティーンは政府がサイバースペース上の過激な政治議論には一定の規制を行うことの必要性を説いていること。
 第二に、個々人を結びつける社会的な絆、ネットワークを回復すること、信頼関係の回復が私化する価値観の分裂化を防ぐことになるためである。
 第三に、特定のアジェンダに対し、ネット上で反復的に繰り返される議論は、むしろ容易な政治参加と多様な意見の遭遇と議論をもたらす。そしてこれを市民が政治的意思決定に有効に活用すれば、直接的民主主義の可能性、民主主義を強化する可能性があること。
 読後はネガティヴな印象が残る感があるが、商業利益のみを目的とした安直なネット賛美論や、IT革命の類の流行レベルでネットを議論するのではなく、脆弱化しつつある民主主義を再建するためのツールとしてネットが有効であるという主張が、むしろ本著の意見として汲み取られるべきであろう。
 すなわち、本著のテーマに戻ると、インターネットは民主主義の敵にもなり、味方にもなるのである。それを活かすか殺すかは、われわれの民主主義のあり方と積極的な参加意識に懸かっている。
 本著が提起した課題はネットに関する問題を越えて、討議的民主主義や社会的共通資本というテーマに発展するものであろう。本著の評価は、読み手側の、ネットに対する評価や民主主義システムを守り抜く意識が問われるように思われる。その意味では読み手の力量も問われている著作ではないだろうか。
|  6条麦茶 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
三輪裕範著『アメリカのパワー・エリート』ちくま新書
 議院内閣制で政党中心の日本政治と、大統領がホワイトハウスや閣僚の助言に基づき、ロビイスト、圧力団体や軍部、財界などの利益調整によって意思決定を行うのがアメリカの政治。
 一般的な理解はこのような表現で良いであろう。しかしながら、アメリカの政治は想像以上に複雑である。本書は特に大統領を中心とした意思決定が実質的にホワイトハウスになされるに至った過程と、閣僚、大統領、ロビイスト、ホワイトハウス、議会の権力均衡と意思調整過程の推移について論じた書である。

 政党が議会と内閣のパイプとなっている日本と違って、アメリカの実権は大統領とホワイトハウス中心になっており、閣僚はむしろ2次的な役割を果たすに過ぎない。アメリカ政治の複雑さとわかりにくさは、大統領の補佐を行うホワイトハウスが表舞台に出にくく、閣僚のみが注目されている点にある。いわば密室政治とも言える。
 
 アメリカ政治の特徴の一つはロビイストという職業が確立されていることであろう。ロビイングはアメリカにおいてもいまだに胡散臭さのつきまとう職業であり、不透明な部分が多いが、日本は政治家がロビイストを兼ねている部分があり、それだけ与党と政治家の負担は大きいと思われる。新たな政治的職業として、専属のスピーチライターやロビイスト、広報担当者などが日本に生まれると、政治家は選挙や利益誘導の職務の負担を軽減できるかもしれない。
 アメリカの政治史は、大統領と連邦議会、閣僚とホワイトハウスの権力闘争を通して理解することが可能であろう。本書では後半部分で、アメリカ政治史のメカニズムについて簡潔に描写されている。その説明内容は明快だ。
 議会に対する大統領の優位はF・D・ローズベルト時代に確立され(=現代的大統領制)、ホワイトハウスの機能的・制度的整備が確立されたのが、特にジョンソン大統領時、そしてニクソン政権時代とされる。この時代に閣僚の権限は大幅に低下し、形式的なお飾りに成り下がってしまった。逆に言えば、大統領府への権力集中はベトナム戦争時に頂点に達した。その中でも特に首席補佐官の存在は突出したものとなっていく。
 ニクソン以降のホワイトハウスと閣僚の権力バランスは大統領がいかに両者に配慮した人事を行い、公正に助言を求め、公正に各自の意思や利益を政策に反映させるよう努めるかが鍵を握ることになった。意外にも現在のG・ブッシュ政権は、著者によればアメリカ史上最も(閣僚とホワイトハウスに)権力バランスのとれた安定した政権であるとの評価は意外だった。

 ブッシュ政権、特に9.11以降は、閣僚であるパウエルやライス、ラムズフェルドなどの姿が際立っているように思える。しかし、その背後にはホワイトハウスの上級顧問カール・ローブ氏やカレン・ヒューズ大統領顧問、アンドリュー・カード首席補佐官のトロイカ体制の存在が際立っている。

 現在のブッシュ政権において実質的に最も発言力のある政治家はカール・ローブと言われている。ネオコンとも関係の深い人物であるが日本では専門家以外では熟知されていない。ここがアメリカ政治のわかりにくい点でもある。内政的に見ればブッシュ政権の安定性は彼ら3人の権力バランスがとれていること、ローブを中心とした選挙戦略が成功したこと、閣僚や補佐官の発言力が比較的平等であること、情報管理の徹底性、にあるだろう。日本のジャーナリズムからは、このような密室政治の舞台裏や、権力バランスは見えてこない。ブッシュやライス、主要閣僚の公式コメントのみが一面に出がちである。やはり、政治は表と裏がある。日本はもちろん、裏の舞台と表の舞台の通路を見ることが重要である。

 最後に。歴代のアメリカ首席補佐官で成功した人物はどのような特徴があったかであろうか? 
 著者によれば「いずれも、しっかりした管理を行う一方、控えめで自らはあまり表に出ず、バランスよく全体の取りまとめを行う実務型の首席補佐官」とのことである。

 「神輿」である大統領をいかにうまく操縦し、他の協力者、部下に配慮しながら、各自に公平に向きあうか、うまく意見をとりまとめていけるか?これがアメリカのパワー・エリートに求められる資質であるようだ。

 ブッシュ政権の安定性とは違い、現在の小泉政権は不安定極まりない。政治的リーダーシップの問題を考えた場合、カリスマ性と個人の政治的資質ばかりが注目されがちであるが、このような意見調整能力と配慮も指導者には求められるに違いない。アメリカ政治の舞台裏の本質は、意外にも日本的な「和」の政治であるのかもしれない。現在の小泉政権ではその「和」さえも崩れつつあるようだ。権力エリートの合意形成の難しさを考えさせられた書である。

 
 
 
|  6条麦茶 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
北岡伸一/田勢康弘著『指導力』 
北岡伸一/田勢康弘著『指導力』日経新聞社の評。
本書は講義の参考文献にしていたので、ここで自分が以前に書いた書評・感想を挙げておく。リーダー育成能力が低下した日本と民主主義の機能不全について、わが国歴代の指導者像を順に見ることによって、適格に理解されるはずである。政治的指導者を育てられない環境になってしまったということは大きな問題だ。あらためてそのことに気がついた。参考までにごご高覧下さい。


 北岡伸一/田勢康弘の対談集のスタイルをとった『指導力』という著作が目にとまったので読み上げた。予想以上に興味深い本だった。もっと軽妙な内容かと思っていたが、想像以上の収穫があった。著名な政治学者と政治ジャーナリストによる対談集だが、対談集とは思えないくらい内容も構成も展開も整っている。出来が良い。構成と対談相手が良かった。
 著名政治ジャーナリストと東大法学部日本政治史教授による共同作業でもある。ここで両者はそれぞれ相互補完的な役割を果たしあって、著作の中でジャーナリズムと歴史家という二つの視点がほどよくミックスされている。
また視点や捉え方が微妙に異なり、反発しあうことなく機能している。

 田勢が取材者としての裏話を聴かせ、北岡伸一が歴史的、マクロ的な視点で様々な政治指導者を正当に評価しようとしている。役割分担が機能的で、うまく連携されている。やはり歴史学者だ。古くは原敬や大久保利通、福沢諭吉への評価が高い。彼らはもともと評価されている人物ではある。一方で伊藤博文は憲法草案作成においても実はあまり大きな貢献をしていないことが明かされており、低い評価が与えられているので少し驚いた。そう言えば千円札が変ってからあまり名前を耳にする機会もなくなって陰が薄くなっているような気がする。やはり通貨の影響力は大きい。見たくなくても見ざるをえないからだ。
 また歴史を振り返った場合、細川護煕は近衛文麿は全く同じことをやっている。これには笑っちまった。同じ血筋の根性なしだ。血は争えない。
 また最近では悪役扱いされてきた岸信介、中曽根康弘への再評価がなされており面白い。個人的に現職時代の中曽根は「悪夢」のひとことであり、あが青春時代80年代のトラウマ、汚点となっているが、個人的に最近の彼を見ているとやはり自分のビジョンをしっかり持って、国益を見据えた、愛国者だと思えるようになった。近年スケールダウンする一方のわが国政治家の中では筋の通った、自分の信念を持った政治家だ。
 また緒方貞子が理想的な外務大臣だったようだ。これには激しく同意。田中真紀子はとんでもないミスキャストだった。あれは酷い。
 
 さて、維新前後に長期的ビジョンに立って日本近代化への路を準備した多くの知識人・偉人と比べて、日露戦争以後、政治家と政党の官僚化が進んだことを北岡は指摘している。まさしくウエーバーでありミヘルスであるのだが、この本の核は、「政党&政治家の官僚化」の必然であり、それと運命を共にせざるを得なかった日本の現代政治史の悲劇、ではないか。政治家の官僚化は指導者育成を阻んだ。そして官僚化の進展の必然は指導者不在を並存させた。

 この本で頻繁に引用されているのが『職業としての政治』だが、こうやって見るとやはりウェーバーは偉大だ。1920年に死んだのに20世紀全てを完璧に見とおしていたことがわかる。いや21世紀にも通用する学者だ。社会科学では20世紀最大の硯学ではないか。

 政治以上に、指導者育成には教育のあり方も重要だと論議されている。家庭教育の見直しがされている点も大事である。「教養」とは何か?という問題になつながるはずだ。特に竹下以降、調整型の宰相が増え、凡庸な指導者が増えた。時代は非凡さを求めている。
 この本には多くのエッセンスが詰まっている。敢えて一言で言いかえるならば、

「非凡さを求められた時代に、凡庸な指導者しか持てなかった日本政治の悲劇」

 と言えるのではないだろうか?そして国民も指導者を育てられない環境に生きているのである。指導者という人間のあり方はその国の政治および未来を適切にあらわすものである。そうすれば、日本には依然、茫洋たる未来しか見ることが出来ない。
|  6条麦茶 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
書評 韓国のデジタル・デモクラシー
『韓国のデジタル・デモクラシー』玄 武岩

本著は、IT先進国韓国におけるサイバースペース上の自発的・分散型の民主化、デジタルデモクラシーの進度をテーマとしている。しかしこの著作は、単純に「デジタル・デモクラシー」のテクノロジーの利点やサイバースペース上の協議的民主主義という流行の話題を追いかけるだけの新書ではなく、ここ数年の韓国のデジタルデモクラシーの定着プロセスを通して、韓国旧来の政治構造を抜本的に改革することの必要性を問う、刺激的な書である。

 韓国のIT化は、既に金大中大統領政権期に準備されており、ネット上の世論動向をうまく得票率向上につなげた現盧武鉉(ノ・ムヒョン)も、ネットの重要性を熟知しており、アメリカにおけるアルバート・ゴア、クリントンのような存在とも言える。ともあれ、共通して言えることは、IT先進国の政治的指導者には先見の明があった。時代の先を見越したリーダーであったと言えるだろう。アイルランドやインド然り。

 さて韓国のデジタル・デモクラシーは、盧武鉉大統領選におけるネット上の市民的・自発的な政治運動において、一気に新しい政治的言論活動のエネルギーを誇示することになった。ハンナラ党や他候補者はネットの言論活動を軽視し、既存の権力と癒着したマスメデイアに依存し、特に若い世代の支持を得ることができなかった。韓国でデジタルデモクラシーが一気に開花したのは既存のマスメデイアの権力癒着と腐敗的構造が根強いゆえに、それが、新たな自由かつ政治的中立な言論活動のスペースとして機能する唯一のスペースであったためであろう。

 盧武鉉大統領候補者の選挙の争点の鍵となったのは、旧植民地時代の対日協力者や日韓基本条約などで無償借款を受けた財閥やブルジョワ保守層を中心とする支配構造と政権の親密関係、根強い地域主義(嶺南地方による湖南地方への差別、圧政)、権言癒着(メデイアと権力の関係、免税や補助金支給、寡占構造等での多くの優遇面)などの腐敗構造、さらに既存政党を中心とした、政治構造の「抜本的改革」であった。

 特に韓国ブルジョワ層と以前の軍事政権が対日協力者であるゆえに、賠償問題や従軍慰安婦問題などで強硬な姿勢をとることを抑圧していた事実は驚愕に値する。また、戦後の韓国財閥が日本の財閥から膨大な資金を得ることで、実質的に国家レベルでの戦争被害の賠償放棄をしていたことも改めて注目されるべきであろう。
 本著ではデジタルデモクラシーがこのような地域主義やメデイア、権力、政党の腐敗構造を是正しうる運動として結実し、盧武鉉大統領はそれを公約としたこと、一方で彼の当選後、世論や野党の批判を浴び自身が非常な苦戦を強いられていることを示している。
 実質的に権威主義的体制であった韓国は経済のみが飛躍的に発展しており、政治的な民主化は依然、未成熟といわざるを得ない。政治と経済の発展グレードのアンバランスがこの国の課題に違いない。先行する経済の発展と遅れる政治的局面での「民主化」の不均衡。これは準先進国が先進国の仲間入りするまでの一つの障壁のような気がする。安定した民主主義体制でないと権威主義体制のままか、発展独裁(マレーシアやシンガポール)の段階にとどまるかどちらかだろう。
 韓国の現在の民主的改革への壁は、権威主義的な政治体制から政治的民主化への道には、なお多くの障壁があることを示すものでもある。ポピュリズムと古い権力体制が衝突しあい、錯綜する状況は、民主的には未成熟な段階と言わざるを得ない。しかし日本のように安定してはいるが、政治的関心の冷めた民主主義の現状からすれば、隣国韓国の政治腐敗改革へのエネルギッシュな動きは刺激的である。政治改革を真剣に議論し改革への情熱とエネルギーが強い国の国民は、時間はかかってもやがて良き政治を手に入れられるのではないだろうか。
 以上、この著作から感じたことは二つある。まず第一に、メデイアの偏向である。韓国の3大新聞社、朝鮮日報、東亜日報、中央日報は権力や政党。財閥と癒着しており、政治的に公正かつ、中立的な報道が出来ない状況にある。またその3社はそのまま日本の新聞社とつながっていて、韓国においても、日本においても正当かつ中立的な政治報道がなされていないということ、つまり3大新聞社を通し日本に入ってくる韓国の政治情報は幾分偏向しているということである。
 二つ目は、日本人が韓国について十分な情報と知識を持っていないという現実である。日韓W杯共催や韓流ブームなど市民レベルでは韓国との距離は縮まりつつあるが、一方で盧武鉉大統領以降の韓国の抜本的な政治改革の動き、韓国の政治構造と戦後史について、あまりに日本人は無知であるという事実である。つまり親近感は高まったかもしれないが、内政に関しては無知に等しい。メデイアの情報統制にも原因があるのだが、やはり近くて遠い国なのかもしれない。
 このような無知については自省すべき点だが、真の国際交流とは、異文化の相互理解とはこのような負の歴史を明らかにし双方が負の歴史に目を向けていくことが大事である。
 極めて刺激的な著作だったが、反日ナショナリズムの興隆と盧武鉉大統領とは恐らく密接な関係があると思われるがこの著作では触れられていないのは残念な点である。これはおそらく多くの読者の関心事でもあるはずだ。ある意味、盧武鉉大統領を過剰に評価し過ぎているのが本著の限界かもしれない。
 
 異なる国の国民同志は、目先の国益や流行だけの交流では長続きしない。そこからは異国間の普遍的な相互理解は生まれない。逆に言えば韓流ブームや俳優人気などの芸能面のみの親近感の薄さを感じた。浅はかな理解からは真の理解は生まれないだろう
 同類の書物が日本には少ないだけに、戦後韓国の政治史を概観し検証するための重要な手引き書となり得る良書である。日本は韓国の政治的常識をもっと正確に知り、学ぶ必要がある。本著を経て、そのことを痛感させられた。


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