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市民革命かそれとも衆愚政治か?
 8.30総選挙の結末、「恐るべき結果、怖ささえ感じる民主の圧勝」

という感想は同日深夜に田原総一郎氏が語っていた感想と内容がほとんど同じであった。

深夜未明に及ぶ鳩山代表の記者会見にも悦々とした様子は全く感じなかった。小沢氏の表情からも終始緩みは見られなかった。


反自民政権は長年の私の悲願でもあったのだが
なんというか寒々しさと怖さを感じた。
そんな自分は完全に55年体制の人間であることに気づいた。

しかしこの恐るべき結末を冷静に考えねばならない。

この選挙は現代日本のあらゆる政治学の教科書の数十頁を書き直せる一大事でもあるからだ。多くは安倍内閣あたりで書き終わっている政治学の教科書、後期の授業の指定テキストの多くは加筆せざるを得なくなるだろう。

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 自民党の崩壊は実質的には森政権以降水面下で確実に進行していたと思われる。あるいは経世会が失墜したあたりから内部的には分裂が始まっていた。派閥政治の終焉と地方選での敗退は自民崩壊の序曲であった。
 自分が関心を持つのは小渕政権時代である。この時期外交面ではガイドライン法案やら周辺事態法、国内では反動的な国旗国家掲揚法案が法制化され、経団連の圧力から雇用の規制緩和が促進された時期でもある。もっとも深刻な問題が格差社会であるとすればやはり雇用面の規制緩和は格差社会実現のスタートラインに立つとも言える。その意味でも小渕政権は地味だが強力な政権で自民主導の反動的な法案を多く通過させている。軽視できない時代である。

 そのような規制緩和路線をより徹底化させたのが小泉竹中路線であった。ちょうど今回選挙のほぼ逆の議席数となった4年前の選挙は国民が
さほど重要でもないアジェンダにまんまと乗せられて郵政民営化賛成か反対かという意味不明の選択を強いられた。結果賛成票も反対票自民が票を吸収して大勝利を収めた。小泉は天才的な詐欺師であり天才的な歌舞伎役者であると思う。中身はないがやはり勝負師としては天才的であった。勝負に強いということ、強いというイメージ、その資質は奇しくも政治的リーダーシップの中の重要な要素である。

 小泉政権時代はポピュリズム化とデマゴギーが完成した時期でもあろう。しかし国民はそれに飽きてしまった。デマゴーグには有権者責任もなく権利と責任の双務関係への知識もない。そもそも日本の社会にはそのような厳格な権利概念が馴染んでいない。デマゴーグは愚痴と文句させ言えば良かった。
 しかし国民は潤いをもたらさない社会に憤りを感じはじめた。そもそも郵政民営化は成功例がほとんどない。(一時ドイツの国際郵便が成功した程度)ユニバーサルサービスの民営化は長期的には限界が生じる。
政府はナショナルミニマムは保障せねばならない。医療崩壊や教育の軽視、耐震偽装疑惑は小さな政治路線、民営化の限界を早くも露呈させた。格差社会や学力低下は確信犯的な結果である。

 そんなこんなで失政に気づいた国民は自民から完全に心が離れ始めた。その時期に小泉政権が終焉し安倍、福田と続く。
 構造改革は日本型社会主義システムを崩壊させるものであった。

そして麻生政権、オールスター級の無能閣僚を集めて、自民は完全に機能停止を起こした。機能停止どころか、これ以上、失政を繰り返すと逆に不利益が生じる。


 しかし自民党政権を選んだ有権者には有権者として政治を見定める能力がなかったことを自認せねばならないのではないだろうか。

 有権者は冷静に自己の投票行動を分析することなく情報操作に一気に流される。その「振り幅」はあまりに大きくなっている。振り子にエネルギーがとんでもない力になってきている。

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 それが選挙結果に私が感じた「怖い」という感覚である。

 だが、考えると、有権者は自民の郵政民営化選挙に踊らされた自身を一律に反省したとも考えられる。その後の失政への反論が選挙結果に出た。これも正しい分析だろう。そう考えれば国民の静かな批判が大きな力となって波を捉えたとも言える。国民の政権批判が世論となって合法的な選挙を通じて政権転覆が実現されたとすれば、これは戦後初の実質的な市民革命と見えなくもないだろう。

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 さてネットを見ていると去年の竹中平蔵と山口二郎の対論に関するブログがあった。

この対論は昨年11月号の『中央公論』に掲載されたものであり当然この対論は自民vs民主の代理戦争でもある。今考えるとなかなか面白い内容だ。

 構造改革と格差社会の元凶、竹中路線は完全に綻びを見せた。
アメリカ型自由主義が無責任の体系と化し、金融工学という
詐欺、インチキに席巻されて崩壊した金融危機によって誰の目からしても明らかとなった。自由主義と規制緩和は厳密に言えば違うものであるが自由主義者が政治の舞台で活躍できるのは規制緩和策でもあった。竹中の政局進出によって経済学と政治学のミスマッチがつながってしまった。

 タイトルが「政治崩壊」wでもあったので、竹中氏の論調に説得力がなく山口氏の妥当性が明らかに優位にあることは疑い得ない。

 右翼と左翼という旧来の座標軸が消失され、単純な色分けができなくなってきている。

対立軸が不明瞭で政策やアジェンダによって判断せねばならなくなっている。その分有権者の政治分析能力が問われるようになった。今政治を色分けするのがとても難しい時代になっている。しかし新しい対立軸を作り直していかねばらない。
イタリアの政治学者、ノルベルト・ボッビオの左右の対立軸なんかはかなり妥当性があろう。いずれにせよ赤と青の色分けも中身を判断していかねばならなくなる。

 長期的に考えれば今回の選挙結果の一番の立役者は山口二郎北大教授ではないだろうか。イギリス政党政治の専門家であり、民主のブレインであり、NEXTキャビネット、マニフェスト選挙、党首討論の提案者でもある。イギリス型二大政党制導入を長年の目標としてきた。

 彼や民主党が冷静なら、次の選挙がもっとも重要な政権選択選挙となるであろう。それは二大政党制の可能性を問うものともなる。
 しかし英国労働党は18年の下野の間も腐らずにNext Cabinetを準備しており然るべきブレインにも恵まれて、ブレアで政権を奪取した。
 自民にもまだチャンスはある。ここで腐るか腐らず次代に備えるか、真価が問われる。

 民主の圧勝ではあるが、別の見方をすればこの選挙は二大政党制の幕開けを意味するものとも言えよう。
 
 あるいは1+1/2党制の走りとなるのか?

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そんな難しい時代だが、有権者はこのような判断を示した。有権者には連帯責任がある。民主主義を否定するなら投票せねばよい。



 しかし民主主義社会の恩恵を少しでも受けている以上、それに支えられている以上は有権者としての責任を果たさねばならない。この船が沈むか、浮上するか、その選択をわれわれは新しい船頭に任せた。任せた以上は文句を言ってもしょうがない。不満ならまた選挙で変えれば良い。

 単純な話だがそれが民主主義だ。赤と青、どっちがきれいか?50点か51点かどっちがマシかという話にもなり得るが実際の選挙はそのようなものだ。100点の政治などユートピアに過ぎない。チャーチルも言っているように民主主義よりもちょっとでもマシなシステムが見つかってないからこのような選択でしょうがない。


 このように考えると新しい指導者を選べる権利、政治の自浄作用がはじめて機能したのが今回の選挙かもしれない。デマゴーグの暴走ではなく、市民革命であることを祈りたい。行く末はまだ誰にもわからない。われわれにとって未来は厳しい。これが箱舟か泥船かどちらかは誰にもわからない。しかしこの船に乗っていけるところまで乗っていこう。
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