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Baader meinhof   ―理想の果てに
 


 夏の終わりに・・というわけではないが秋の夜長に渋谷のシネマライズで
上映中の『バーダーマインホフ―理想の果てに』を観にいった。
 火曜日は1000円、最終上映のナイトショー、得した気分。

 少し意表を突かれた感のある冒頭のヌーディスト・ビーチの光景から映画は始まる。ジャニス・ジョップリンの”Mercedes Benz”がかかった。最後の曲がボブ・ディラン”風に吹かれて”だった。この2曲はこの映画の多くを語っているように後で思った。
 
 映画の概要について。1968年反帝国主義、反資本主義、反米をスローガンに掲げた極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」が形成された。グループ名は当初アンドレアス・バーダーが中心で左翼系雑誌ジャーナリストであったウルリケ・マインホフが活動に賛同し両者が中心のグループ名として呼ばれるようになった。
 
女性ジャーナリスト・ウルリッケ・マインホッフは唯一知的で理性的な活動家として、 反政府的執筆活動を行っていたがバーダーの活動やアジ演説に引かれ、シンパとなりやがて中心メンバーとなり、銀行強盗、大企業拠点や政府施設の爆破、裁判官や財界要人の誘拐、暗殺などあらゆる犯罪に手を染めていく。バーダー・マインホフはやがて70年代活躍した日本赤軍に共鳴し、ドイツ赤軍と改称し、多くの爆破事件を起こし、72年にバーダーとマインホフ等首謀者が逮捕される。包囲された小屋の銃撃戦の中のシーンは“Butch Cassidy and the Sundance Kid”さながらである。マインホフはジャーナリストを辞してテロに身を染めた葛藤と殺人の罪の深さと刑務所生活に絶望し留置所で自殺を遂げる(76年)。裁判をめぐるリーダー達の内紛や葛藤などの密室内の人間模様が描写されている。「自分たちの運命は自分で決めねばならない」これはリーダー達の最後の決意であり暗黙のルールであった。結局勾留中のリーダーはハイジャック失敗を確認後3人が独房で自殺を遂げる。しかしそれでも次から次に現れていく次世代の後継者によりテロ活動は果てしなくエスカレートし、継続されていく・・・
 
 主要なストーリーは以上の通りである。
この映画はまずキャスティングにおいて優れている。特に女性のテロリストと行動がかなりの比重を占めている。女性スタッフが目立ち位置にあり、注目度合いも高い。この映画はまずキャスティングにおいて優れている。男女ともにすばらしい配役である。警察庁責任者にブルーノ・ガンツ。若きテロリストには注目女優のアレクサンドラ・マリア・ララ。唯一知性的なウルリッケ・マインホフ(名女優マルティナ=ゲデック)の演技は秀逸していた。ベルリンでヒトラーと天使を演じた名優ブルーノ・ガンツ、鷹揚ながら着々とテロ組織を追い詰めていく優れた警察官僚を演じきった。地味ながらすばらしい味を出している。主人公の一人、ヨハンナ・ヴォカレック。活動的でクールな女性テロリスト・リーダーを演じきった。そしてバーダーのカリスマ的魅力。特に彼ら被告が裁判官と応酬しあう裁判所のシーンなどは秀逸しているのではないだろうか。
 
 この映画には一方で大きな難題もある。赤軍メンバーの多さの活動規模の大きさからやむをえないが人物を数世代に入れ替えて構成したため、感情移入すべき人物がストーリーを通して見出しぬくい点である。監督の意図であるがこれだけの多彩で有能なキャストをもちながら、感情移入できる人物がなかったというもどかしさも観覧者には残るはずだ。この点は映画の評価の大きな分かれ目ともなろう。
 
 この映画からイメージに残った言葉。文明と暴力、野蛮。そして破壊とエロチシズム。目映いほどのヌードビーチの若く健康な肉体のエロチシズムとその対極にある暴力的衝動と破壊性。理性と野蛮。非合法活動を行うことを自覚した人間の最後はやはりまっとうに生きながらえることはできない。革命か死か。自ら命を絶つしかないのだ。『灰とダイヤモンド』の如く、テロリストにはやるせない青春と終わりなき闘争と死しか残されていない。自決した彼らはテロリストとは何かをわきまえていた。
 人質釈放作戦の失敗した後、ラストシーンでパリ郊外の森でRAF残党は人質として捕らえた実業家シュライヤーを射殺するシーンで終わる。

 唐突に終わるラストシーンは、その後の赤軍の96年までの継続的活動を暗示しているのではないか。また誘拐失敗後のテロリストの無慈悲な殺人と、容赦なき決意を。そして暴力の連鎖はさらに時代を超えて9.11以降も続いている。この映画ではテロに対して何の結論も下していない。テロは解決されていない。暴力の連鎖は続いている。つまり、解決されていないテロの問題を、(解決させずに)閉じずに結ぼうとしたのが監督の意図ではないだろうか。結ばれることなき永遠の問題、Endingで流れるZimmermanの歌詞の中にその答えが織り込まれているように思った。


「どれだけ砲弾が炸裂したら闘いは終わるの ?友よ、そのこたえは風に吹かれている。答えは風に吹かれている」 


 帰り渋谷駅で乗ったのはチョコレート電車だった。本当に明治のチョコだった。
釈然としない映画の終わりに考えつつも少しだけ得した気分の秋の夜。

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